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おたくだってはらがへる。

どうしようもないくらい腹が減っても、きみが好き。

多分

この春が終わると、私が阿部顕嵐と出会って丸6年が経つ。今でも忘れない、2011年5月7日winkupおそらく初登場。「尊敬する先輩:松本潤くん」憧れの先輩だったかもしれない。当時松本担だった私は、その言葉だけで好きになった。私が知っている中で初めて担当を尊先にあげたジュニアだった。後にも先にも、阿部顕嵐1人だった。「誕生日が一緒」たったそれだけ、今思えば本当にしょうもない理由が1番だった。当時中学2年生なりたて。十分な理由だったと思う。茶の間、BSは繋いでない。阿部顕嵐と同い年の私が茶の間を飛びだせるわけもなく、ドル誌で活動を間接的に後聞きした。

 

ジャPaニーズHi、最初名前を見たときは腹を抱えて友達と笑った。なんなら正式名称が「ジャPaニーズHi!School」だっていうのは、今調べてて知った。マジか。今そのメンバーを見れば、この後何度も何度も並んでステージに立つ名前が沢山だった。ここから全部始まるんだ、当時そう思っていたのはあながち間違いではなかったらしい。

 

ひたすら茶の間を極めていた私は、勿論この名前もドル誌で知ることになる。Travis Jr。そして、TravisJapan。トラジュのことは正直そこまで覚えていないので割愛。大好きだったJR.Aの名前がなくなってできたのが、TravisJapanだった。JR.Aがなくなってしまう寂しさを超える嬉しさだった。ただ、その嬉しさも長続きはしなかった。実質PLAYZONE限定のグループだったから、9人まとめてドル誌に載ることなんてなかった。所謂弟組だけ。顕嵐がいたのにどこか喜べなかった。そして、気付いた頃にはドル誌を買うのをやめてしまった。阿部顕嵐担当として最大の失敗。最大で唯一の情報源を絶った。13年のPLAYZONEを8人で出ることが耳に入ってこなかったわけではないけれど、9人じゃないと意味がないと思っていた。

 

デビュー組も好きな私は、ちょっとしたきっかけで少年倶楽部を見始めることになる。一生忘れられない2014年5月7日。テーマはENJOYだったはず。1曲目はweeeek。忘れもしない、ザ・アイドルみたいな金髪の彼の名前が阿部顕嵐だった。2度目の一目惚れ。そして、SexyBoysと出会う。今では毛嫌いしてるように言っているが、普通にこの括りは好きだったし今も好きだ。8人で活動するTravisJapanを好きになれなくて離れたのに、結局別のところで好きになっていた。この夏はPLAYZONEに出なかった。ドル誌にもクリエの5人で載ってTravisJapanは8人だった。ただ、その分嬉しいことも増えた。先輩のバーターだとしても、映画のスピンオフドラマで主役を演じることができた。なんにもないぽっと出のジュニアが主演だ。今でも時々思ってしまう、阿部顕嵐でよかったのだろうか。結果、よかった。ネタでも「近キョリ出は新規」みたいなことを言って笑いあえた。売れた気分も味わえた。その後もガチャもゲスト出演することができたし、少しでも芝居の経験が詰めたと思う。

 

そして発表された、最後のPLAYZONE。TravisJapanはやっと9人揃っての出演だった。嬉しくて嬉しくて、行けるだけ申し込んだ。結局当たらなかったけれど(笑)9人でドル誌に載ってここからな気がした。それでも、「これが最後」その言葉が付き纏う。PLAYZONEのために選抜されたメンバー。そしてできたグループ。所詮PLAYZONEのため。これが最後だと思って、毎日毎日ツイッターに張り付いた。

 

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1月5日、どうやって情報を得たのか忘れてしまった。多分メールは知ってから届いた。「骨折で出演が未定になった」たった12文字を理解するのに3時間もかけた。最後のPLAYZONE、最後になるかもしれないTravisJapan。理解できた頃には、悔しさでいっぱいだった。結局1度も踊れなかったけれど、初日と千秋楽はステージに立ち毎日青山劇場で公演を見届けていた。彼なりの青山劇場への感謝の気持ちだったのかもしれない。って勝手に思ってます。今でも。

そこから9人でドル誌に載ることが増えた。クリエは意味わかんない括りだったけど、9人でいる時間が圧倒的に増えた。

 

YOLOmomentのPVへの出演が発表されたのはいつだったか。大阪に遊びにきてたときは発表されてたんだっけ。優馬のイベ後にツアーが発表されて「もうこれは、ツアーバック確定だろ!」みたいな空気が界隈を漂っていた。PVは9人での出演、弟組だけだが歌番組バックもつとめた。そんな時「バックは関西」という声が上がった。信じているふりして信じられなかった人ばかりだったのではないか。実際私も最後の最後まで信じていなかった。結局Mステから関西にシフトチェンジ。「これが最後」やっぱりこの言葉がつきまとった。

 

そんな優馬のツアー中に、近藤真彦35周年ツアーのバックジュニアが発表された。TravisJapan、そして衣装を着た9人の写真。みんながみんな、何度も人数を数えた。年末までグループが残る喜び。これを当たり前にしたいと思ってた。

 

六本木と掛け持ちのメンバーもいる中始まったツアー。ホール公演が全て終わった頃始まった武道館公演の申し込み。11日3名義、12日4名義かけた。はず。当たったのは11日。やっと、やっと顕嵐に会えるんだと喜んだ覚えしかない。

からの、みゅあらだけいない嵐ツアーバック。バンド括りとの掛け持ちをしていた美勇人くんはわかる。だからこそ「なんで」の気持ちが大きかった。やっぱり名前がなくなってしまうんじゃないかって思ってしまった。

 

当日は強風で電車が止まったり色々あって電車の中で泣いて(笑)東京向かいました。2階席で遠かったけれどTravisJapanは世界一だった。

以下割愛します(笑)

 

私の誕生日に発表された滝つバック。色々な過程は端折りまして、ガイズコールで自分でも引くぐらい泣いた。PLAYZONEにやっと帰ってこれた気がした。

 

 

 

 

ここまで書いて最後に見た9人のTravisJapanはこの日だったなと。突然やってきた5月21日は私の手のひらから顕嵐を奪っていった。正直言ってLove-tuneのことは、まだ好きじゃない。あの日から7回Love-tuneを見てきた。それでもやっぱり好きじゃない。あれから8ヶ月。もう1人辞めて、メンバーがあの時のことを少しずつ話し始めてくれた。それでもやっぱりっていうのはあったけど、少し好きになれた気がする。多分。8月25日の君にお別れをしよう。お疲れ様、顕嵐。

 

 

 

そして、今日で5周年。これからもよろしく